| ■三光正宗の所在地 岡山県の北西部、阿哲郡哲西町上神代(かみこうじろ)。 正面には当蔵名の由来ともなっています「月(ツキ)・日(ヒ)・星(ホシ)」と鳴く三光鳥が住むといわれる三光山を眺め、背後には岡山三大河川の一つ高梁川の源流、神代川が流れる谷間の地に三光正宗は在ります。 近くには「西の尾瀬」と呼ばれる四季折々の植物で美しい「鯉が窪湿原」もあり、 当蔵で使用する山田錦米もこの地のすぐ下流で栽培されています。 高原の山々に囲まれ、清澄な空気と仕込水、良質の原料米。 「三光正宗」は、酒造りの条件に恵まれた土地にあります。 ■大正2年創業 明治時代、多くの日本人が夢を求めてアメリカへ渡り、成功する人、夢かなわず帰国する人、この哲西の地でも多くの人々がアメリカに渡りました。 当蔵の創業者である宮田重五郎もその一人です。 明治35年、重五郎は意を決し、結婚一年目で生まれた長女と妻を残し、単身で移民しました。 移民した重五郎は仲間と苺農園(オランダ苺といわれています)を経営し幾多の苦労を乗り越えながら多くの財を築き、明治45年、移民先であったサンフランシスコ近郊より帰国。 その財を元に、酒造業を始めようと一念発起して大正2年2月28日に製造免許を受け、この地で清酒、焼酎、味淋の3種類の製造を始めました。 当蔵は酒蔵の創業のきっかけとしては珍しい「アメリカンドリーム」で生まれた酒蔵なのです。 ■備中杜氏岡山県のお酒の歴史は、万葉集にも「吉備の国の酒」という言葉が見られるほどで、まだ全国で酒造技術が完全に確立していない頃より酒作りが行われており、長い歴史があります。 元禄年間に朝野弥治兵衛というものが灘より持ち帰った高い醸造技術をもとに杜氏を育成したことから文化年間には「備中杜氏」の名を広め徐々にその人数を増やし、大正時代には500名以上にまで達しました。 もともと備中流の特長は、祖白米を原料としながら端麗な酒造りを行うという特別な技術を持ち、また、新しい技術の導入にも積極的で、それぞれの時代の技術を取り入れ、日々進歩しています。 当蔵では酒造暦50年を越える「現代の名工」に選ばれた備中杜氏の指導のもと、備中杜氏の流れを汲む熟練の蔵人たちが、丹精こめて酒造りに勤しんでいます。 ■蔵の近代化杜氏・蔵人の高齢化、特に阿新は地域自体の高齢化・過疎化が進み、蔵人をお願いするのに苦労していますが、蔵の省力化と力仕事の軽減に力を入れることにより、高齢化が進んでもなお、伝統の醸造技術を維持しています。 |
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